今年の4月、子どもたちが通う学校に、「子どもとの対話」を大切にしている先生が赴任していた。
対話と聞いて、私が思い浮かべたのは、麹町中学校で校長をされていた工藤勇一先生。
工藤先生は、麹町中学校で、それまで当たり前に続いてきた宿題や定期テスト、固定担任制などを見直した。
ただ決まりをなくしたのではなく、目指していたのは、子どもが自分で考えて行動できるようになること。
学校や先生が子どもを管理するのではなく、子ども自身が考え、話し合い、答えを見つけていく。そんな学校づくりを進めたことで知られている。
工藤先生の著書『学校の当たり前をやめた』も、とてもよかった。
学校の決まりや行事は何のためにあるのか。
昔から続いているという理由だけで、今も同じ形を続ける必要があるのか。
当たり前だと思っていたことについて、あらためて考えさせられる本だった。
話が少しそれたけど、今回、わが子の学校にも対話を大切に考えている先生がいると知り、私はとても嬉しくなった。
でも、学校で一人ひとりの話をゆっくり聞くのは簡単ではないと思う。
対話には時間がかかるし、生の人数も必要だし、小学校だとなおさらだ。
一つのクラスにたくさんの子どもがいて、授業や行事、保護者への連絡、書類の作成など、先生たちは見るからに忙しそう。
今の小学校で、すぐに実現するのは難しいと思う。
それでも、いつか子どもと先生がゆっくり話せる時間が当たり前になったら、親としては夢のように嬉しい。
長女は、その先生と数回話したことがあるそう。「私、あの先生好き」と言っていた。
理由を聞くと、「ちゃんと話を聞いてくれるから」
子どもは、話をちゃんときいてくれる大人が分かるのだと思った。
自分の話を本当に聞いてくれているのか。
大人が言いたいことを言うために、とりあえず話を聞くふりをしているのか。
何かすごいことをしてもらわなくても、自分の話を最後まで聞いてもらえる。それだけで、子どもにとっては安心できる相手になるのかもしれない。
その先生が学校にいる。
今は、それだけでも私は少し安心している。
学校の授業は、私が子どもの頃から大きく変わっていないように見える。
先生の話を聞く。
言われたことをする。
決められた時間に、みんなで同じことを進める。
「子どもが主役」と言われるけれど、実際には大人が決めた流れの中で動かされているだけではないかと思うこともある。
集団生活だから決まりは必要だと思うし、好きなことだけをすればいいとも思わない。
ただ、もう少し子ども自身が考えたり、意見を言ったり、選んだりできる学校になってもいいのではないか。
学校がつまらないと言う子がいたり、行けなくなってしまう子がいたりするのも、無理はない気がする。
授業の形や学校の仕組みを変えることも必要だけど、その前に、まずは目の前にいる子ども自身を見てほしい。
困っていること、本当は何を言いたいのかとか、どうしてその行動をしたのか。
すぐに正そうとせず、話を聞いてもらえる場所が学校にあったら、それだけで救われる子もいると思う。
教育現場を大きく変えることは、簡単じゃない。
一人の先生だけで、学校全体を変えられるものでもない。
それでも、子どもの話をちゃんと聞こうとしてくれる先生が一人いる。
そこから少しずつ、何かが変わっていくのかもしれない。


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